僕だけのファインダー 『東京公園』 小説紹介
ファインダー(Finder)とは、カメラにおいて撮影前に目で構図を決めたりピントを合わせたりするのに使用する覗き窓
要は、ファインダーとは自分が撮影しようとしているものが、ちゃんと撮れるかを確認するためのものである。
よく、小説や歌など様々な場面でファインダーという言葉を見かける。
「ファイダーを通して、自分だけの景色を撮る」
「ファインダー越しの君を撮る」
まぁ、この文は今適当に考えたが、どうやらファインダーという言葉には確認するという意味だけではなく、違う意味もあるのではないかと私は思う。
例えば、雑誌に掲載されている写真やプロが撮影した写真を見ると、表すことができない感動を味わうことがある。
それは、撮影した人の技術や経験というものが成し得る技なのかもしれない。
でもそれだけではないと感じるのだ。
もし、それだけだとしたら、違うものを撮影しているのにどこか同じものになってしまう。そこら中、陳腐なもので溢れかえってしまうだろう。
では、何が感動をもたらすのだろうか。
それぞれが持っている感性というファインダーがもたらしているのでないか。
撮影したいものをファインダー越しに見たとき、その人だけの感性をファインダーに移し込んでいるのだ。
だから、ファインダーには確認の意味だけでなく、その人だけが大事にしていること、という意味を付け加えてたい。
なぜ、ファインダーの話なのか、
それは、小路幸也さんの作品、『東京公園』を読んでファインダーに興味を持ったからである。
写真家をめざす大学生の圭司は、公園で偶然に出会った男性から、奇妙な依頼を受ける―「妻の百合香を尾行して写真を撮ってほしい」。砧公園、世田谷公園、和田堀公園、井の頭公園…幼い娘を連れて、都内の公園をめぐる百合香を、カメラ越しに見つめる圭司は、いつしか彼女に惹かれていくが。憧れが恋へと成長する直前の、せつなくてもどかしい気持ちを、8つの公園を舞台に描いた、瑞々しい青春小説。
内容(「BOOK」データベースより)
小さな命がゆっくりと芽吹くように、物語は進んで行く。
そんな中でも、葛藤や後悔がある。
それを受け入れながら、圭司はファインダー越しの景色を撮る。
いやぁ、本当に綺麗な世界。
自分だけのファインダーを持った圭司を見ると、
カメラが欲しくなります。
暖かな日差しの中で、読んでほしい本です。
それでは、また。